2011年8月12日金曜日

「AFTERNOON PIANONNO @MORIYA 2011」に参加して


SERAさんのブログ記事に触発され,今さらではありますが,先月7月30日に行われました「AFTERNOON PIANONNO @MORIYA 2011」につきまして,思っていた事を感想として書いてみることにしました(もともとはSERAさんのブログ記事にコメントとして書き始めたものです).

まず,この度は19th Clubの方たち,守谷の方たちには大変お世話になりありがとうございました.おかげ様で初対面の方が多かったにも関わらず,参加者の皆さんとあまり距離を感じる事無く楽しむ事ができました.

今回の会に対する皆さんのコメントを拝見し,その懐の深さに感謝するとともに,それに甘えず,自分のやりたい事には責任をもってきちんと取り組まないといけないとの思いを新たにしました(特に今回は演奏の準備があまりにも雑だったので).
これに懲りず今後ともどうぞよろしくお願い致します.

>「技術・理念の習得」と「純粋に楽しむ体験」は音楽教育の両輪でなければならないと思います。(by SERAさん)

このSERAさんの言われている事を,今回の会に参加しながら正に感じていました.特にSERAさんが言われる「純粋に楽しむ体験」について,会の最中にも折に触れて考えていました.それが19th Clubの方達の雰囲気を反映するキーワードだと思ったからです.

ここで言われている意味で「純粋に楽しむ」ためには,演奏者,または聴衆に「主体性」というか「積極性」が求められると思います.「純粋に楽しむ」時には個々人の中の基準を参照しなければならないと考えるからです.その基準とは個々人の感情や経験などになると思います.

個々人が感情や経験などに従って「主体的」に「楽しむ」ことにより,それが演奏者ならば,より多くの要素を含んだ豊かな演奏が可能になり,聴衆ならばより演奏により寄り添った聴き方(良きにつけ悪しきにつけ)ができると思います.

しかし伝統のある文化の中では,どうしても「〜でなければならない」という,制約に「受動的」に従いやすく,受動的な姿勢が強いと,演奏者も聴衆も「個性」が押さえ込まれ,なかなか「純粋に楽しむ」ことができないように思います.

例としては適切でないかも知れませんが,例えば超絶技巧に偏った演奏(もちろん,技術的に破綻していないきちんとした演奏ですが)についても,まず「すげ〜」と驚き,そのvirtuosityを賞賛することもできると思うのですが,日本のクラシック系の人達の中ではそれについて「音楽性に乏しい」として一様に「眉をひそめることになっている」ように感じられ,残念に思うことがあります.

今回,19th Clubの方たちとご一緒させて頂き,その「純粋に楽しむ」という姿勢に,なんというか安心感に似た心地よさを感じました.「技術・理念の習得」は極端な話,機械的な取り組みでも可能ですが,「純粋に楽しむ」という姿勢はその性格上,各個人の音楽に対する姿勢,さらに言えば各参加者の生き様が反映されるものであり,画一的なものは存在しません.しかもそれは参加者が表現してくれないと感じ取れるものではありません.今回は,それぞれ参加者の方々が積み重ねて来られた多様なものを表現して下さり,身近に感じ取れたからこそ,そしておそらくその表現されたものに共感できるものが多かったからこそ,心地よさを感じたんじゃないかと,今は解釈しています.

そして,そうした雰囲気はきっと子ども達にも伝わっていると思います.
父親,母親が音楽を楽しんでいれば,その子ども達も自然と音楽と仲良くなれるに違いありません.

今回の会の雰囲気も重要な要素だったかも知れません.
ユングさんの企図した自由な雰囲気があったからこそ,いろいろなものを表現しやすく,また感じ取りやすかったという面はあると思います.

その雰囲気についてですが,正直に申し上げて評価は二分されると今でも思っています.すなわち,演奏の最中に参加者が席を立ったり,子どもが壁を登っていたり,コスプレをしてピアノを弾く人がいたり,あるいは大人たちがどんどんアルコールを飲んだりする事などについては,今回の会の参加者のなかでも賛否が分かれるものと思います.

そうした状況については,主催側の人間(僕は一応,主催側ってことで)でも可否に迷うところがありましたので,それについて私見を述べ,感想を終えます.

ピアノクラブOB側としては,「例会に近い形」と理解すればそんなに抵抗はないようにも思うのですが,それにしても,真摯に演奏に取り組む演奏者を蔑ろにしているのではないかという追求に対し,今回の会の形式を完全に擁護する反論を,僕は持ち合わせていません.

しかし,今回の会および今後も続くであろう同種の会(*)については,この雰囲気でいいということで総括し,また今後も進めていいんじゃないか,と感じています.様々な個性,背景をお持ちの方々が参加されることを考えると,今後も各参加者の堪忍袋の許容量を最大限に使い切りながらの会になるかも知れません.でも今回のような雰囲気によって,それぞれが自らの個性を余すところ無く発揮し「純粋に楽しむ」ことをお手伝いできると考え,可能な限り枠をはめず,自由な雰囲気で音楽を楽しむ会としてお許しを乞いたく考えています(張りつめた緊張感の中で行われる演奏会を否定するものではありませんが,そうした「場」はきっと他にもあるでしょうし).
 (*)ユングさんを中心としたピアノクラブOB主催の会のこと:ちなみにピアノクラブOB主催の会は他にもあり,硬派な演奏会も時々行われています.

行儀が悪くて演奏者の方にはちょっと申し訳ないかも知れませんが,例えば演奏者ごとに会場の雰囲気や聴衆の聴き方が変わるなどといったことも「この会の特質という事にしてしまう」など,敢えてあまり手を加えずに,参加者が集まってそれぞれが独自性を出す事で醸し出される「祭りっぽさ」が特徴の会として続けばいいなぁ,というのが正直な僕の気持ちです.

末筆ではありますが,改めまして,参加者の皆さん,そして何より中心となって主催して下さったユングさんと五右衛門さんに深く感謝の意を表し,以上を感想とさせて頂きます.

8 件のコメント:

  1. ほんっとに長い文章好っきゃなあ!!!しかしとても明晰な文章です。よくそう見事な分析が出来るものです。私はそういうのが苦手で、全て直観と本能で動いているので、あらためてこうして文章にされると、主催していながら「そうだったのか」と思ってしまいます(笑)

    なんでもありは、やってみたらどうなるかな、という試しの意味もありました。正直言って、迷いもありました。最終的に「これでよし」ということになりましたが、それを許容して下さるチームメイトの皆さまにひたすら感謝です。それが許されるような人間関係を今後も作って行きたいと思っています。お祭り上等だよ。同じアホなら踊らなそんそん!Oさんも、すごく楽しかったって!!

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  2. コメント、ありがとうございます。

    ロック出身でライブハウス等の雰囲気に慣れ親しんできた私にはクラシックの世界は素晴らしいんだけど、どうしても画一的に映ります。

    歌舞伎や落語も実際に見に行くと会場は自由な雰囲気です。

    古典である限り、研鑚の必要性はありますが、聴衆のいるエンターテイメントである限り、もっと多様性を持つ必要も同時にあると思います。

    そうしないと他のジャンルに負けてしまうからです。

    ユンディ・リーを選出したショパンコンクールで中村紘子氏は「達者に弾くピアニストはたくさんいるが、華のあるピアニストは少ない。華のあるピアニストが出現しないとクラッシックピアノは衰退してしまう。」とコメントしていました。

    ジャズやロックのスターに比べてクラシックのスター達はどこか優等生的で華に欠けるように思えます。(一部の巨匠は除いてですが)

    自由に楽しむジャズやロック等のライブハウスの猥雑な雰囲気は味であり、楽しみ方のスタイルであり、音楽や演奏者への冒瀆ではありません。

    実際、記録を見る限り19世紀のクラシックコンサートの模様は、むしろ現代のロックやジャズのコンサートに近いものでした。

    20世紀に入ってからコンテストや原典尊重主義の台頭にともなって現代のスタイルに統一されていきました。

    むしろ現代のクラシックだけが厳粛な世界に埋没しているように感じてしまいます。

    華は一種の毒であり、それは生き方や猥雑さの中から生まれるように私は思います。


    厳粛なコンサートやコンテストは既にたくさんあります。

    ちーたんさんのおっしゃる通り、あえて私達が何かを行うのなら、そういった既にたくさんあるものではなく、違った観点での企画でなければやる意義がないのではないかと思います。

    ですから、こういった試みを今後も一緒におこなっていけたらって願っています。

    アカデミズムよりナショナリズムを大切にし、各地で音楽のお祭りがおこなわれたらステキですね。

    何はともあれ、今後ともよろしくお願いいたします。



    PS,
    できたら相互リンクさせてください。
    お願いいたします。

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  3. >ユングさん

    言葉足らずが怖くてつい言葉を重ねてしまいます.実は仕事のメールも長くなる傾向があります.というか,最近は取引先からの問い合わせの電話への対応時間まで長くなっています.会社員の基礎スキルが未だに身に付きません.お恥ずかしい限りです.

    今回の会は,上に書いただけではなく,他にも考えさせられることが多くありました.楽しいだけでなく,多くの刺激を受け,本当に有意義な時間を過ごさせて頂きました.改めまして感謝,感謝です.

    最後にちらっと「祭りっぽさ」と書きましたが,実はこれが今回の会の特徴を最も良く表す言葉の一つなんじゃないかと思っています.個人的に祭りは大好きなので,この会に際しては自分の中のテーマとして,今後とも「祭りっぽさ」を追求して行きたいと思っています!

    > Oさんも、すごく楽しかったって!!

    これは,なんと言うか僕にとっては衝撃的なお言葉です.
    サークルのよろず帳にOさんが「遊ぶのも構わないが,音楽にももっと真摯に取り組むべきだ」という意味の事を書かれたことがあって,サークルの運営側としていつも肝に銘じないといけないと思っていました.

    そんなこともあって,今回もどちらかというとOさんには「もう少し真面目にやれ」と言われると思っていました.もちろん,そういうことも考えられているのだとは思うのですが,「すごく楽しかった」という言葉を頂けた事は僕にとって大きな収穫です!
    来年はOさんにも是非演奏して欲しいです!

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  4. >SERAさん

    クラシックの世界の画一性については,少なくとも日本においてはもっと柔軟であっていいと僕も思います.

    僕が大学の時分に所属していた音楽サークルには,むしろその「画一性」にひかれて入部された方がおられました.どちらかというとクラシック側にいたつもりの自分にとって,その視点はとても興味深く感じられましたが,同時に伸び代の小ささを改めて意識させられました.制約の中の多様性は無限であっても,「制約という枠の有限性」を感じました(ちなみにクラシックの世界で言う「現代音楽」は「制約という枠の有限性」にとらわれない部分があるのかも知れませんが,試みの結果が異形として発現していることが多い様に僕には感じられます).

    自分の守備範囲以外のものを積極的に取り込み,手持ちの札との反応を楽しみながら反応生成物の中に面白いものを見つけていくという作業は,無秩序にもなりかねませんが生産的でとても楽しいものだと思います.今回の会にもそうした楽しみがあり,引き続き楽しく音楽をさせて頂きたいと思います.こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願い致します.

    > 華は一種の毒.

    そしてやっぱり華は美しい!ですよね.

    > アカデミズムよりナショナリズムを大切にし、

    この部分に限っては,僕は正反対の印象を持ちました.
    「排他的なナショナリズム」という側面と,「学際分野に爆発的な突破力を秘めたアカデミズム」の側面を鑑み,ここは「ナショナリズムよりアカデミズムを大切にし」がいいなぁ・・・なんて.いや,すみません.言葉遊びです.

    大して更新もしないブログに相互リンクのお申し出を頂きありがとうございます.分不相応とは思いますが,喜んでお受け致します.
    こちらにはリンクの項がないのですが,近々設定してリンクを張らせて頂きます.

    ・・・と書いておいてなんですが,どちらのサイトにリンクを張らせて頂けばよろしいでしょうか.ご指示をお願い致します.

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  5. リンク先はこちらだよ。

    http://19thclub.blog45.fc2.com/

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  6. ユングさん,ありがとうございます!
    リンク,やってみます〜

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  7. ピアノンノのブログ、楽しく嬉しく拝見いたしました。

    北大の皆さんと守谷の皆さん中心に生まれた音楽の絆が、このまま末永く続いていって欲しいと強く願っております。


    形がかわっても基本ポリシーは今のまま変わらず続けていただけたらいいなって思っております。

    それは19thでも一番大切にしてきたことだから。


    次回、必ず復活して参加したいって思っております。

    来年、また再会できることを楽しみにしております。

    今後ともよろしくお願いいたします。

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  8. SERAさん,コメントありがとうございます.
    復調しつつあるご様子,まずは安心致しました.

    こちらこそ,来年もまたお会いできることを楽しみにしております.
    今後ともよろしくお願い致します!

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